uraraのブログ

現在の心情を詩に書いたり、知っていることを詩に書きたいと思います

我、感情あるがゆえに我あり

                                                   九頭竜湖4


デカルト「我、思うがゆえに我あり」
と言われしけれど
「我、感情あるがゆえに我あり」
と思いたきけり


我とは何だろうと思いし時
「存在」であると思いけり
存在とは何だろうと思いし時
「命」であると思いけり
命とは何だろうと思いし時
「活動の源」であると思いけり
人は活動するために生まれてくるなり


感情とは何だろうと思いし時
「活動するための活力」であると思いけり
人は活動するために感情があるなり


思うとは何だろうと思いし時
「心の活動」であると思いけり
人は活動するために思うが起きるなり


人は命によりて存在あり、
存在によりて我あり
我によりて感情あり
感情によりて思うが起きるなり
と、我そのような思いになりにける


我、神さまを意識して眠りし時

                九頭竜湖3



夜、布団の中で
眠る前に
神さまを軽く意識し続けるなり
しばらくして
我が身に
神さまが入って来られるなり
我そのまま眠りに入りし


我が身
眠っていても
神さまは
我が身を内で癒し続けられるなり


朝になりて
目か覚めし時
神さま我が身から離れていかれるなり
我が身
癒されし調子良きことに気づくなり


神さまが入って来られるなり・・・・神様が直接入ってくるのではありません。神様を意識することで気功でいう外気功(がいきこう)の身体の外の気である癒しになる外気が入って来ることです。外気は神・仏様のエネルギー、自然エネルギー、宇宙エネルギー、その他色々な名前で世界中で呼ばれています。外気が身体に入ってくる状態を聖書では「神が来る」「神が入られる」と書かれており、気功では「神が入ってくる」などと書かれることがあり、私もそれを引用して書きました。外気が入ると人によって癒され方が違いますが、体の調子が良くなることもあるというものです。


寂しき生活、孤独なれど満足すべきとなりつつや

                                                        九頭竜湖2


お釈迦様の教えに
「人を相手とせず、仏様を相手とする」
と、書かれているなり


我が生活
お釈迦様の教えと少し違いけれど
「人に相手にされず、仏様を相手とする」
と、なりける


我が生活
人は寂しき生活
孤独なりと
言うなれど


我がこころ
孤独が好きになりつつも
こころのどこかに
寂しさあり


我がこころ
落ち着き出るなや
寂しさ消え
孤独なりとも
楽しさあり


我がこころ
我が生活
寂しき孤独に見えようとも
それなりに過ごすこと
満足すべきとなりつつや